学振を出す会社員

久々の更新。

 

ブログを書くのをさぼっている間、学振(DC1)の申請書を書いていた。出してきた。

 

おれは社会的地位と金が欲しいから博士に行かない、などと修了式で同期に語ったのも遠い昔(本当にそんなことをほざいた)。

何となく今の仕事をずっと続けるのがいやになり(おそらく通勤中に読んでいた「百年の孤独」のせい。物足りなさみたいなものは前の記事にも片鱗が見えよう。)、2月頃から学振のアイデア(いまいち消化不良の修論を発展させた奴)を何となく考えているうちにずるずると学振に申請してみることにした。

 

そして、気がついたら出していた。二年前に就活するか迷ったときと似た現象である。これでいいのか。テーマは結局修論を発展させたもので申請した。博論もこれで書くことになると思う(今のところは学振に落ちても進学する気である)。

 

社会人が(文系分野で)学振を書こうとしてぶつかる壁は、なんといっても時間が足りないことであろう。週末と平日の夜くらいしか費やせないのである(官僚とかもっと多忙な職種ではおそらく提出自体無理だっただろう)。しかも当然疲れ切っている状況である。院生たちはまるまる使えるのに、である。

なお、通勤時間や昼休みにスマホでの校閲・編集を試してみたがあまりはかどらなかった。バージョン管理がめんどくさかったというのもある。

 

絶対的な時間が足りない、というのに加え、相対的な調整が厄介だというのがある。

 

まず、大学の教務とのやりとりは電話かメールか郵送になる。ID取得も郵送なのに加え、申請の最終段階では紙媒体を提出する必要がある。締切数日前には電子申請を終えて郵送し、別途メール等で受領確認を願わなければならない。不備で差し戻しとかになれば、急遽休暇を取って提出に行かないといけない(業績には通し番号をつけましょう。受理してくれたけど。)。

 

さらに、指導教官に話を付けたり相談する必要がある。添削はともかく、さすがにメールですべて通すのは厳しいものがあった(出戻りしようとしている私に連休中も付き合ってくれた先生の人間性を讃える必要があろう)。これはどうしようもないので2回休暇をとって大学に話に行った。一回目は出そうと思ってる(つまりD進しようとしている)こと自体の相談、二回目は内容の相談である。年度末の有給消化が可能であれば、先生の都合もあるし3月頃には話を付けておくべきだろう。

 

一方で、メリットとしてはなんと言っても修論を書いていることが挙げられる。これはM2申請者との決定的な違いだ。さらに書いてから時間が経っているのでたとえ修論が消化不良であっても冷静に書き直しやすい(私の場合、「これまでの研究」の1/4くらいは修論に書いていないことである。なお、字数の制約があったり詳しく書きすぎてわかりにくくなる危険はある。結構苦労した)。

 

また、時間が足りないと書いたがどうせ集中力が続かないことを考えると、毎晩2時間くらい集中して書くくらいの方がいいのかもしれない(やはり足りなかったが!)

 

まあ、このあとは祈り、働くのみである。

あと語学の復習と教科書の再読と論文の修正と以下略以下略。

 

 

 

継続

仕事が本格的に始まると、やはりブログを書くのが難しい。

 

前回から今日までの間にも本を買ったり読もうとしたり(読んだり)友人たちと新潟にスキーに行ったりエースコンバット5を引っ張り出してやったり昨日仕事帰りに雪まみれになりつつ近所のTSUTAYAで借りてきた氷菓のアニメ(手作りチョコレートの回と遠回りする雛の回)を見たりしていたのだが、結局ブログを書く気力がわかなかった。

 

ちなみに今日は体調不良で会社を休んだのだが、朦朧として理性が怪しかった結果ちょっと出かけた近所の本屋で一万円近くも本を買ってしまった。

 

自分が消費するばかりでなく何か発信したいと思うのは、消費がある程度確保できてからのことだと思う(連休終わりとか。たぶん次の日に仕事が控えているというのも大事な要素だ)のだが、普段はそんな時間的余裕もなく終わってしまう。

通勤で小説(休みの日に読むには格調高く、集中力が続かないやつ。先週はカフカの「審判(訴訟)」、明日からは酒ではない方の「百年の孤独」の予定。)を読むのと、夜に1時間くらい何か近所で読むくらいである。要は時間が足りない。

 

仕事の忙しさにかまけて日々の空しさから目をそらしているが、どこかに野心のかけらが残っているのだろう。そういう欲求はちょっと暇になって心に余裕ができると途端に首をもたげるのである。 

 

テーマが見つかれば博士課程に行くという話をよくするのであるが(自分はおそらくビジネスで自己実現とやらをするタイプではないと思う)、なぜか自分の専攻分野の論文を読む気力が全く湧かない。

多分生産者目線になってしまって純粋に楽しめないのだろう。専攻という気負いからついつい難しいものばかりを候補に選んでしまい結局読まないのかもしれない(せんせいたちの博論とか)。経済思想史とかの方が好きだ。

今日はオーストリア学派の概説書も買った。

 

とりあえずブログを書くのは続けたいと思うので、今日は短いがこれくらいにしておく。

 

文化文化ってなんだという話

仕事が始まるとなかなかブログが書けない。

月曜日の午後は上野の古代アンデス文明展に行った。

  

ぼおっと展示品と解説文を読んでいたのだが、いくつかのことに気づいた。

 

まず、インカ帝国の治世は思っていたより短かった、ということである。

インカ帝国を滅ぼしたのはヨーロッパ人であり、従って新大陸「発見」以降のことだと知っている以上、インカ帝国はだいぶ新しい「国家」だ、というのはなんとなくわかる。

 

では、インカ帝国はいつからできたのか、どれくらい続いていたのだろうか。

インカ帝国の版図は広大(アンデス文明最大)であり、かなり政治的に組織化がされていたというのは何となくわかる。なんて言ったって山のど真ん中にマチュピチュを作ったわけだし。インカ道のことも「マチュピチュ探検記」を通勤中にざっと読んで何となく知っていた(ステレオタイプなオーストラリア人とステレオタイプなニューヨーカーのが歩き回っていた気がする)。幹線道路と政治的組織の関係は知らないがまあ物理的な統治機構みたいなもんだろう。

 

さらに、ごく少数のヨーロッパ人に対抗できなかったのは、内輪もめが原因、というのも何となく知っている。

そうすると、インカ帝国は数百年続いて、そろそろ屋台骨が怪しくなってきた頃にヨーロッパ人が現れた、ということになるのか。

 

大はずれだった。

 

インカ帝国の成立時期は1430~40年頃、応仁の乱のちょっと前だ。皇帝アタワルパが処刑されてインカ帝国が滅んだのは1533年である。たった百年しかインカ帝国の治世は続かなかったのだ。

(そもそもいつからいつまでをカウントすべきなのかという問題は残る)

 

言われてみれば、ペルーでマチュピチュと双璧をなす知名度を誇る遺跡、ナスカの地上絵を作ったのはインカ帝国ではない。

 

でも、インカ帝国といえばどこか「古代」的な響きを帯びる気がする。

それはぼくが浪人中、Civilization4でインカ文明(で、ライオンとか蛮族の戦士にはしばらく負けないケチュア戦士)をだらだら使っていたからかもしれないし、マチュピチュの神秘的な雰囲気(行ってみて思ったが、母校に似ている。なお母校は神秘的ではない)がそうさせるのかもしれない。もしかしたらごく少数のヨーロッパ人に鉄砲であっという間に滅ぼされたからかもしれない。

 

そして、自分の評価というものは相当偏見にまみれているのかもしれない。

多分そうだろう。

 

上でナスカの地上絵のことに触れたが、地上絵を作ったのはナスカ「文化」の人々だ。ここがもう一つの点だ。

 

展示では、インカ以前の「文化」と国家についても触れられていた、というかそっちがメインかもしれない。

 ふと気が付いたのは、○○文化は強力で中心都市の権力者がどうのこうの、とか、□□王国が××文化を滅ぼし、みたいな記述があったことだ(うろ覚えなので、もう少し言葉を選んでいると思う)。

 

はて、いつから「文化」は政治的単位みたいな扱われ方をするようになったのか。

弥生土器縄文土器を滅ぼすのか。

おそらく、考古学上の分類で何らかの社会があったことは推測されるが、政治的にどれほど組織されていたかはよくわからないといったあたりだ。学説に争いとかがありそうである。

そのうち論争の枠組みそのものから問い直す作業の必要性が博論の序章で叫ばれたりするのである。

 

そういえばCivilizationでも領地が広がるのは文化圏が拡大したときだった。

文化が貧弱な都市はいつの間にか領土を削られ、飛び地になったりした挙げ句食糧不足で人口減少の憂き目をみたりモンテスマが暴れる原因になったりするのである。

昨日の世界」を読むにたぶんそんな単純ではないので特に教訓はない。

うっかりえらそうな本を買ってしまう癖について

目の前に積ん読の山がある。

 

文庫ならまだいいのだが、昨日はA.G.フランクの「リオリエント」を買ってしまったのでさらに厚みが6センチほど増した。

 

買った理由は大学院時代の選択課題図書に入っていたのを思い出したから、という薄っぺらなものであり、ただの衝動買いであることからして今後読むのかはわからない。

そもそもウォーラーステインとフランクの世界システム論に関する論争の発端の書である(と帯に書いてあった)にも関わらず、ウォーラーステインの主張を理解していないのが痛い。

岩波からでているやつは訳者が推薦してたのでそのうち買って読みたいなあと思っているが、高校世界史の図表に載ってた、あと従属論あたりの話で聞きかじった半周辺とかしか知らない。

そもそも世界システム論にそんなに興味があるのかと言われると自信のないところ(川北先生のちくまの入門書も積ん読のままである)。

 

強面のお高い本を買っては棚に飾ったままということがここ数年続いている。一応読んだ偉そうな本といえばモンテーニュのエセーくらいで、しかも中断ばかりだったので二年半もかかった。書くのにはもっと時間がかかったのだろう。講談社学術文庫の「モンテーニュ」も読みかけのままだ。

 

ショーペンハウエルが「読書とは他人にものを考えてもらうこと」と書いていた(ほかの内容は忘れた)が、そもそも難しい本だと漫然と流し読みしているだけで考えてすらいない。最近だとカール・シュミットとかセクストスとかは読んでないに等しい。エセーだって内容はほとんど忘れてしまった。しかし形式上積ん読ではなくなっているのである。

えらそうな本の名前を並べて偉そうにするなんてまるっきりのバカだ、という言葉をとある本で読んだがまさにいまの自分だ。気が向いたら書評でも書きたいと思う。誤読の勇気。

 

えらそうな本といえば、ブルデューが最近気になっている。一年前の今の時期もそんなことを言っていた気がする。確かその時は修論提出が終わって暇だったので訳者の入門書(いま調べたら「差異と欲望」)を図書館で読んだ。これかメチエの入門書でも読みたいなと思う。

大学院の友人によるとコレージュ・ド・フランスの講義録がおもしろいらしい(仏語/英語で読む気力はない)。

バーナード嬢の気持ちがよくわかる。

 

エセーの最後の方に生活を整えるのがどうのこうのと書かれていた(気がする)ので、連休最終日である今日は生活を整えることに専念したい。とりあえず眼鏡の調整に行ってきた。

 本ばっかり読んでいるのもよくないなあと思ってブログを始めたのに結局本の話をしている。

最初の方はそんなもんだろう、と思う。

 

始めるに当たり

自分の継続力に疑いを差し挟みつつ、ブログを始めてみることにした。

後年見返したときになんでこんな貴重な時間を黒歴史生産(ex.mixi, しゅうしがくいろんぶん)に費やしているのだと思うに違いないので一応理由を書いておく。

理由としては、まず最近積読の消化に追われて咀嚼できているか非常に怪しいというのがある。
本を書く根性は今のところない(修論ですらかなり短かった)。
単に書評だけ書くのも続かなさそう(ブクログもやってた)だと思い、今年のテーマはアイデアの蒸留とリスクを取っていくことぶち上げたので、思い切って始めることにしたのである。
あといまの仕事上、日々の平穏への感謝を大事にしたいというのもある。
媒体として向いてるかは今後考えたい。

初っぱなにがんばりすぎるのもあれなのでこれくらいにしておこうと思う。
明日は上野の博物館にでも行こうと思うが、書きたくなったら続きを書く。